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 ベテラン選手として帰ってきたブラム。貴重なスイッチヒッター。

 注:英文表記に慣れるため英語にて記載しております。英文文字にカーソルを当てると日本語訳が出ます。

 【27】 ジォフ・ブラム [ Geoff Blum ][ Full Name = Geoffrey Edward Blum ]
 [ 三塁手 右投げ/両打ち/35歳 ][ メジャーデビュー99/08/09 ][ 誕生日73/04/26 ][出身:カリフォルニア州]
Year Team Org. Level G AB AVG HR RBI SB R H 2B 3B BB SO SLG Salary
1994 Vermont (NYPL) MTL A- 63 241 .344 3 38 5 48 83 15 1 33 21 .452
1995 West Palm (FSL) MTL A+ 125 457 .263 1 62 6 54 120 20 2 34 61 .322
1996 Harrisburg (East) MTL AA 120 396 .240 1 41 6 47 95 22 2 59 51 .313
1997 Ottawa (IL) MTL AAA 118 407 .248 3 35 14 59 101 21 2 52 73 .332
1998 GCL Expos (GCL) MTL Rk 5 19 .158 0 1 0 0 3 1 1 1 4 .316
1998 Jupiter (FSL) MTL A+ 17 58 .276 0 5 1 13 16 6 0 13 14 .379
1998 Harrisburg (East) MTL AA 39 139 .309 6 21 2 25 43 12 3 17 24 .568
1998 Ottawa (IL) MTL AAA 8 23 .174 0 1 0 1 4 0 0 3 6 .174
1999 Ottawa (IL) MTL AAA 77 268 .265 10 37 6 43 71 14 1 37 39 .437
1999 Montreal Expos MTL MLB 45 133 .241 8 18 1 21 32 7 2 17 25 ..504 $200,000
2000 Montreal Expos MTL MLB 124 343 .283 11 45 1 40 97 20 2 26 60 .449 $210,000
2001 Montreal Expos MTL MLB 148 453 .236 9 50 9 57 107 25 0 43 94 .351 $260,000
2002 Houston Astros HOU MLB 130 368 .283 10 52 2 45 104 20 4 49 70 .440 $315,000
2003 Houston Astros HOU MLB 123 420 .262 10 52 0 51 110 19 0 20 50 .379 $1,500,000
2004 TampaBay DevilReys TB MLB 112 339 .215 8 35 2 38 73 21 0 24 58 .348 $1,500,000
2005 Lk Elsin (Calif) SD A+ 2 8 .250 2 5 0 3 2 0 0 1 2 1.000
2005 SanDiego Padres SD MLB 31 95 .200 1 3 0 6 19 2 1 4 15 .274 $575,000
2005 Chicago WhiteSox CHI MLB 78 224 .241 5 22 3 26 54 13 1 24 28 .375 $307,500
2006 SanDiego Padres SD MLB 109 276 .254 4 34 0 27 70 17 1 17 51 .366 $650,000
2007 SanDiego Padres SD MLB 122 330 .252 5 33 0 34 83 21 1 32 52 .367 $900,000
Story of Blum
ブラムは、1994年のドラフトで、モントリオール・エクスポス(現ワシントン・ナショナルズ)から、7巡目(全体196番目)で指名されプロ契約をいたしました。

マイナーで5年費やしたブラムに1999年、ついにメジャーデビューすることとなりました。同年のマイナーのオタワでは、3塁を守っていたブラムでしたが、マイナーのほとんどでは2塁と遊撃の守備をしていたため、難なく遊撃手としてのデビューを果たしました。

2000年と2001年は、主に3塁を守り、さらに捕手以外の内野を全て守るというユーティリティーぶりも発揮する。このエクスポス時代は、3塁手のフェルナンド・タティスの控えとして活躍。35試合を自身初のレフトを守るという離れ業も披露いたしました。(レフト守備のエラーは0)

2002年開幕前の3月、アストロズは、正3塁手をモーガン・エンズバーグかクリス・トゥルービーとで争っていたが、伸びしろのあるエンズバーグで行くことを決定し、そのトゥルービーと3塁の控えとして使えるブラムをトレードとして獲得いたしました。

しかし、エンズバーグは安定感を欠き、ブラムが正3塁手として活躍して、定位置を確定。翌年は大幅アップとなる年俸150万ドル(約1億6500万円)を手にした。

アストロズ在籍中にブラムは、ヒューストン郊外に家を購入。生涯をアストロズでプレイしたい意向を示した。もし、トレードに出されたとしても家族にとってもいい場所と判断したとのこと。かなりこの土地とチームを気に入っているようだ。

2003年は、エンズバーグとの併用で3塁手を努めましたが、エンズバーグは127試合に出場し、打率.291、25本塁打と活躍。成績で差を付けられたブラムは、同年オフの12月にブランドン・バッキー投手とのトレードで、タンパベイ・デビルレイズ(現レイズ)に移籍することとなりました。

デビルレイズでは、正3塁手として期待されましたが、結果は3塁守備59試合、2塁守備52試合、1塁、遊撃、レフトを数試合と柔軟に守りましたが、集中できなかったのか、打撃成績は思うように行かず、11月にデビルレイズはブラムとの契約を解除しFAとなり、12月にはサンディエゴ・パドレスと契約を果たし移籍いたしました。

2005年は、ブラムにとって予想外の年となりました。5月には、自身初となる15日間のDL(故障者リスト)入りとなり、復帰後は打撃が不振に陥り、7月にはライアン・マークス投手(マイナー選手)とのトレードで、シカゴ・ホワイトソックスに移籍することとなりました。

移籍したホワイトソックスは、オジー・ギーエン監督の下、スモールベースボールで、アメリカンリーグの中部地区を優勝。ディビジョンシリーズとリーグチャンピオンシップシリーズで7勝1敗と勢いに乗り、ワールドシリーズへコマを進めました。そのワールドシリーズの相手は、古巣アストロズとの対決となりました。

この対決は、アストロズが勝ったら創立44年目にして初のチャンピオン。ホワイトソックスが勝てば、88年ぶりのチャンピオンと、どちらが勝っても歴史的な1ページとなる所でした。

1戦目にクレメンス、2戦目でペティットを破ったホワイトソックスは、第3戦でオズウォルトとガーランドの投げ合いもあり、延長14回に達しました。この回ホワイトソックスの攻撃は、ランナーを出しましたが、ダブルプレイで2アウトになり、延長13回から2塁守備に入っていたブラムに打席が回ってきました。

ブラムにとって、久しぶりのミニッツメイドパークでの試合。ここでブラムは、売り出し中の若手イジクェル・アスタシオ投手から、値千金の2ランホームランを放ち、ホワイトソックスが勝利!そのままの勢いで、第4戦も勝ち抜き、ホワイトソックスが88年ぶりのワールドシリーズチャンピオンに輝きました。

みごとチャンピオンリングを手にしたブラムは、このプレーオフで、ディビジョンシリーズには、1試合出場の1打席ノーヒット。ワールドシリーズでも、1試合出場の1打席のみで決勝ホームランと、何とも言えない活躍で、ワールドチャンピオンに貢献いたしました。

同年、FAとなったブラムは、再びサンディエゴ・パドレスとユーティリティープレイヤーとして契約をいたしました。この年、代打では31打数12安打の打率.387と好打率をマークし、後半戦は若手のハリル・グリーン遊撃手の穴を埋める活躍もして、パドレスの地区連覇に貢献いたしました。


【ジォフ・ブラムの記録】
■ワールドシリーズ

■マイナーリーグ



2005年 チャンピオン [ シカゴ・ホワイトソックス ]

1994年 遊撃手 [ ショートシーズンAクラス オールスター ]
1994年 内野手 [ Pac-10 コンフェレンス オールサウザン ]




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